2008/02/24 05:30:10
自分の性格というものを意識し始めている自分に気づいています。
もちろん30年も生きてきているわけで、
自分の思考パターン、行動パターンはなんとなく分かってはいます。
ですが、最近はその思考や行動の裏にある自分の意識などを考えるようになってきました。
私だけかもしれませんし、世の中の人間で同じような人がたくさんいるかもしれませんが、
私は、「他人の自分への評価」や「他人が自分をどのように見ているのか」ということを
意識しているほうかもしれません。
だからと言って、普段から服装やら言動やらに
とても気を使っているわけではないのですが。
ですが、特に自分に失敗については正直に周囲にさらけ出せていない気がします。
それでも、高校生・大学生の頃の自分と比べると
だいぶ周囲に表現できるようになってきたとは思います。
笑いながら自分のだめなところややってしまった失敗について
話せるようになって来ました。
色々な本を読んでいると、
「自分が心を開かないと、相手も心を開くことはしない。」
「自分が相手を好ましく思っていないと、相手も自分に対して好感はもてない。」
などのことに気づきました。
それを鵜呑みにしているわけではないのですが、
そういう生き方をすることに惹かれる自分がいて
そのように意識して生活するようになってからだいぶたっていると思います。
「自分を周囲に表現する」
ということに対する抵抗が少しずつ減ってきているように思います。
「いるんだかいないんだか分からない空気のような存在」
でありつつ、
「大切なところでは頼られる存在」
でありたいと、若かりし頃は漠然と感じていたような気がします。
すごい矛盾(笑)。
最近では、なるべく
「自分のカラー」
を作って出していきたいと感じています。
この「カラー」というものが結構難しいのですが。
話がだいぶそれて来ました(笑)
何でタイトルのように思ったかというと、
家内が自分の失敗を私に話した時にそう感じたからです。
自分だったら、ちょっと話すことに抵抗を感じるような失敗を
反省や後悔をしつつ
きちんと私に話してくれたのです。
それに対して私は
改めて尊敬の念と自分の小ささへを感じました(笑)。
もっともっと大きな人間になりたいと思いました。
もちろん30年も生きてきているわけで、
自分の思考パターン、行動パターンはなんとなく分かってはいます。
ですが、最近はその思考や行動の裏にある自分の意識などを考えるようになってきました。
私だけかもしれませんし、世の中の人間で同じような人がたくさんいるかもしれませんが、
私は、「他人の自分への評価」や「他人が自分をどのように見ているのか」ということを
意識しているほうかもしれません。
だからと言って、普段から服装やら言動やらに
とても気を使っているわけではないのですが。
ですが、特に自分に失敗については正直に周囲にさらけ出せていない気がします。
それでも、高校生・大学生の頃の自分と比べると
だいぶ周囲に表現できるようになってきたとは思います。
笑いながら自分のだめなところややってしまった失敗について
話せるようになって来ました。
色々な本を読んでいると、
「自分が心を開かないと、相手も心を開くことはしない。」
「自分が相手を好ましく思っていないと、相手も自分に対して好感はもてない。」
などのことに気づきました。
それを鵜呑みにしているわけではないのですが、
そういう生き方をすることに惹かれる自分がいて
そのように意識して生活するようになってからだいぶたっていると思います。
「自分を周囲に表現する」
ということに対する抵抗が少しずつ減ってきているように思います。
「いるんだかいないんだか分からない空気のような存在」
でありつつ、
「大切なところでは頼られる存在」
でありたいと、若かりし頃は漠然と感じていたような気がします。
すごい矛盾(笑)。
最近では、なるべく
「自分のカラー」
を作って出していきたいと感じています。
この「カラー」というものが結構難しいのですが。
話がだいぶそれて来ました(笑)
何でタイトルのように思ったかというと、
家内が自分の失敗を私に話した時にそう感じたからです。
自分だったら、ちょっと話すことに抵抗を感じるような失敗を
反省や後悔をしつつ
きちんと私に話してくれたのです。
それに対して私は
改めて尊敬の念と自分の小ささへを感じました(笑)。
もっともっと大きな人間になりたいと思いました。
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