2008/10/05 21:25:08
なくなった部長のお通夜に行ってきました。
場所は厚木駅近辺の葬祭場。
帰宅して仕事をしなければならなかったため、
車で行きました。
我が家は私も家内も本当に部長にお世話になっています。
ここでは挙げきれないくらいお心遣いいただいています。
家内も行きたがったのですが、
前から決まっていた
家内の友だちの結婚式に出席するために
今日は別行動です。
子どもたちは家内のお母さんに来てもらって
留守番してもらいます。
今日、我が家には
お祝い事とお悔やみごとが同時に来ました。
部長のことや部長との思い出などを考えながら厚木街道を西進します。
ふとさびしくなってカーステレオを入れると
Mr.children/終わりなき旅
「カンナみたいにさ 命を削ってさ 情熱を灯しては・・・
思えば、部長は40台の頃からB型肝炎を患っていたのでした。
私が初めてお会いした頃は50台半ばを過ぎた頃。
その病気との付き合いも、10年になっていました。
そして、退職してからはガンの発症。
部長は、本当に長い間病気と向き合ってきました。
きっと、相当に苦しかったことでしょう。
葬祭場には45分くらい早くついてしまい、
さて、どうしたものかと考えていると
同じ職場で働いていた同僚一人が来ました。
彼は部長の病気をつい最近知り、そして程なくして訃報を聞いたそうです。
顔を合わせた時から目が真っ赤でした。
早めについたので、部長と静かにお別れもできました。
置かれていた部長の顔写真は
元気だった頃の、あの少年のような笑顔。
とても優しい笑顔でした。
そして、
棺の中の部長の顔はとてもきれいで安らかなものでした。
バイタリティあふれていた顔でしたが、
頬はすっかりこけ、
一年中真っ黒だった色も真っ白になっていましたが、
本当に安らかなものでした。
棺には数え切れないほどの折り鶴。
そして、本当にたくさんの寄せ書き。
愛用の帽子。
涙を抑えられませんでした。
通夜が始まり
焼香も済ませたのですが
最後まで見守りたかったので退出せず
ずっと席に座っていました。
自分の知り合いもたくさん来ていました。
焼香の後、飲みにいったらしいのですが、
仕事も山積みだし、家族も待っているので
私は帰ることにしました。
よく
「人は死ぬ時にどれだけの人が心底悲しんでくれるかだよ。」
と聞きます。
少なくとも、私は寂しさでいっぱいです。
涙も止まりません。
もしかすると
今まで自分が出席した葬儀の中で
一番悲しいものだったかもしれません。
65歳早すぎる死ですが
長い闘病生活からようやく開放されたとも言えるでしょう。
お疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました。
場所は厚木駅近辺の葬祭場。
帰宅して仕事をしなければならなかったため、
車で行きました。
我が家は私も家内も本当に部長にお世話になっています。
ここでは挙げきれないくらいお心遣いいただいています。
家内も行きたがったのですが、
前から決まっていた
家内の友だちの結婚式に出席するために
今日は別行動です。
子どもたちは家内のお母さんに来てもらって
留守番してもらいます。
今日、我が家には
お祝い事とお悔やみごとが同時に来ました。
部長のことや部長との思い出などを考えながら厚木街道を西進します。
ふとさびしくなってカーステレオを入れると
Mr.children/終わりなき旅
「カンナみたいにさ 命を削ってさ 情熱を灯しては・・・
思えば、部長は40台の頃からB型肝炎を患っていたのでした。
私が初めてお会いした頃は50台半ばを過ぎた頃。
その病気との付き合いも、10年になっていました。
そして、退職してからはガンの発症。
部長は、本当に長い間病気と向き合ってきました。
きっと、相当に苦しかったことでしょう。
葬祭場には45分くらい早くついてしまい、
さて、どうしたものかと考えていると
同じ職場で働いていた同僚一人が来ました。
彼は部長の病気をつい最近知り、そして程なくして訃報を聞いたそうです。
顔を合わせた時から目が真っ赤でした。
早めについたので、部長と静かにお別れもできました。
置かれていた部長の顔写真は
元気だった頃の、あの少年のような笑顔。
とても優しい笑顔でした。
そして、
棺の中の部長の顔はとてもきれいで安らかなものでした。
バイタリティあふれていた顔でしたが、
頬はすっかりこけ、
一年中真っ黒だった色も真っ白になっていましたが、
本当に安らかなものでした。
棺には数え切れないほどの折り鶴。
そして、本当にたくさんの寄せ書き。
愛用の帽子。
涙を抑えられませんでした。
通夜が始まり
焼香も済ませたのですが
最後まで見守りたかったので退出せず
ずっと席に座っていました。
自分の知り合いもたくさん来ていました。
焼香の後、飲みにいったらしいのですが、
仕事も山積みだし、家族も待っているので
私は帰ることにしました。
よく
「人は死ぬ時にどれだけの人が心底悲しんでくれるかだよ。」
と聞きます。
少なくとも、私は寂しさでいっぱいです。
涙も止まりません。
もしかすると
今まで自分が出席した葬儀の中で
一番悲しいものだったかもしれません。
65歳早すぎる死ですが
長い闘病生活からようやく開放されたとも言えるでしょう。
お疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました。
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